アラフィフWの毎日徒然

人生半分を過ぎて過去現在の関心、興味の赴くままにコラム、たまに愚痴なども。

気候今昔物語 前編

 

 

 

 

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

蝉の鳴き声が毎日近所周辺に響き渡り夏本番です。

 

 

今年は観測至上一番暑い夏になるとの記事もありましたが、

私が住む地域は気温自体は猛暑という感じではないです。

 

でも、ここ数年は気温の上昇とともに湿気が

明らかにひと昔前と違います。

 

地球温暖化による本当の生活の変化というのは、これからなんでしょうね。

 

今回は私が小さかった頃の記憶をたどって1970年代と現在の

気候の変化や生活暮らしについて前編後編で投稿したいと思います。

 

私の実家は松本市内でも山に近い安曇野より。

ちょうど日本の真ん中長野県です。

松本市の標高は海抜592キロメートル。

実家からは10キロ圏内に山がそびえ、横に常念岳をはじめとする

北アルプスの山脈がずーっと遠くまで連なっています。

 

うちの方からの山の眺めは斜めであまりよくないんです。

豊科や穂高あたりが一番いいらしいですね。

 

 物心ついた頃はちょうど1970年代半ば。

当時は夏でも夜は扇風機も確か必要なく涼しくなり

本当に暑いのは8月の中旬くらいまで。

お盆が過ぎれば気温も下がり

学校のプールも風が吹けば本当に寒いくらいでした。

 

秋の風が吹くのは8月下旬、

そして稲穂が実る9月中旬頃は朝晩寒いと感じるようになります。

9月の運動会は体を動かすのにいい季節。

 

秋は比較的過ごしやすく急に寒くなることはありませんでしたが、

冬は子供ながらに楽しくも寒さに震える日々が到来します。

1週間に一回は必ず膝位までは雪が積もり、朝晩の登下校が

足元がびしょびしょで大変でした。

あかぎれやしもやけは当たり前に出来て、お風呂に入ると

痛がゆくなるんです。

 

山に近いので雪が積もると、翌日は放射冷却現象が特に厳しく

最低気温はマイナス10度台後半、真冬日も緩むまで何日か続きます。

私の地方では「今朝はしみた」と言う表現をよくします。

 

当時は今より乾燥もひどく、体感温度はもっと寒かったように感じます。

実家の庭先の洗濯物は、昼間太陽が昇っても乾かずに凍ってパリパリになり、

乾燥機なんてありませんでしたからコタツで干すのが常でした。

 

地区内には冬になると天然のスケートリンク出来るグラウンドがあって

冬の期間は小学校からバスが出て体育の時間は数時間スケートの授業。

リンクがあったおかげで上手な子達は選抜で練習が出来て、そこから

スピードスケートの大会へ出場する人も何人もいました。

 

そのためか?冬は、その他の授業の教科書は毎年最後まで終わらず斜め読み笑。

 

 今でも北海道はもっと寒いのでしょうね。 

 

40年ほど前の寒さを知っていると

現在の気候の変化が寂しくもあり、また将来的に不安でもあります。

気温が上昇すると、作れる作物が変わっていきます。

うちの実家の周辺一帯はリンゴの産地。

気温の寒暖差でリンゴの味、糖度や出来が変化します。

 

将来的には温暖化でリンゴからみかんやオレンジに転換を迫られるかもと

実家の父は言っていましたが私にとってはこれが一番寂しいかもしれません。

 

前編はここまで続きは後編で。

 

 

お読みいただきありがとうございました。